異業種転職 その4

僕は理系です。なので、就職活動は技術職を中心に就職活動をしていましたが、研究職の現場を見ると、何だか面白くなさそうに見えて、技術職から一転して営業を志望しました。

 

とはいえ、何個か内定を頂いていた時からの変更なので、就職課も相当怒ってました。『もう頼むから就職活動を終わりにしてくれ』と推薦状を頂いた。

 

すごいのは、どの会社でも推薦状を書いてくれることでした。僕の場合、既に面接なれをしており、直近では面接不合格はなかったので、就職課も自信を持って僕に推薦状を託したのだと思います。

 

ただ、有名企業の面接は既に開始されていましたので、就職課と検討した結果、ファスナーとアルミサッシで有名なYKKの推薦状を頂くのでした。

 

ここで、何故YKKだったかと言いますと、有名企業が少ない中で、確実に合格することと、僕自身も納得できる会社であることが重要でした。数あるリストの中から色々な企業を調べました。難しかったのは1つに絞ることでした。そんな中、YKKの新規事業と僕が研究していたテーマが近かったこと、研究テーマを起点として面接をすれば受かる自信があったからYKKに絞りました。

 

採用面接は、全てYKK大阪支店で完結しました。東京本社の企業は、最終面接が東京でしたので、東京に行けないことは少し残念でした。因みに営業採用での面接は初めてでした。入社後の人事担当が言っていたのですが、今回履歴書を送った人は3000名を超えていたようです。筆記試験と三度の面接でしたが、一次は5-6人のグループ討論、二次面接も最終面接も3名で受けるというものでした。当時、理系の面接は常に一名でしたが、学生が同席したグループ面接は初めてだったので、ちゃんと対策は取れてませんでした。周りの学生も関関同立の文系の方が7割以上でしたのですが、彼らは対策もしっかりしていたのでヤラレタと思いました。

 

当時、理系は重宝されていたので、営業の採用は難しくないかな、と思いましたが、グループ討論で司会進行を進んでやる人。テーマを即時理解して会話量を徹底的に増やすこと、討論テーマに対して周りの流れに合わせて調和を取る人など、何も準備していない僕と違い、自分のスタンスを決めている人では大きな差があったと思います。正直圧倒されたした。流石、就職氷河期の文系の方々はちゃんと準備して実践してるなーと思いました。

 

僕はどうしたかというと、作戦などは特になく、思ったことを正直に会話しただけでした。因みに僕らグループのテーマは「W杯に三浦知良が必要か?」というテーマでした。僕は当時、ドーハの悲劇からサッカーを見るようになった知識量なので、テクニカルな事は一切言えず、「カズがいて、若い選手を盛り上げるだけで良い、僕も部活で先輩がいるだけで心強かった。」としか言えなかったです。一次面接後、いっしょになった人と会話したのですが、「営業という仕事の向き不向きを見てたと思うので、全員の流れに合わせる協調性は大事なのかと思った。」とのこと。みんなは周りを見てみんなと合意形成をとっていたが、僕だけみんなと違う三浦知良を押しまくってました。あぁ、これはもうダメかなぁと思ってました。

 

ただ、わからないものですね。僕だけ二次面接に進みました。人を絞るという事は、人と違うことを言うことかもしれませんね。ただ、本当に僕以外は完成されたグループ面談対策をしていたので、未だに僕だけ二次面接に進めたのは謎です。強調しますが、学校推薦を持っていたのが一番の要因と今も思っています。

 

二次も最終面接も特に対策することなく、今までこなした面接と同じような受け答えで対応しました。結果、それで内定を頂くことが出来ました。

 

ここまでは、就職の方法のため、異業種転職と異なることと、今の就職戦線とは違うので、今と異なるテクニックとなります。僕の時代はエントリーシートすらない時代です。これより先は異業種転職となりますので、どうぞ楽しみにしてくださいませ。