大学の選考は工学部電子工学科でしたので、就職も技術職を考えていました。技術職だと将来も安定する、ということでメーカーの技術職を中心に就職活動を行なっていました。
ところがメーカーの技術職は地方勤務ばかりでした。大阪市生まれ大阪市育ちなので、大阪市を離れて地方で一人暮らしする事は考えていませんでした。
そこで市内で働ける技術職を探しました。そうなるとプログラマーになるんですね。ワタクシ、プログラムは正直好きじゃあ無かったんですね。今でもそうですが^_^
そんな気持ちで就職活動をしていたのですが、とある一社から「君は営業に向いてるね、営業で応募しなおさない?」と言われました。「技術職で勝負させてください!」と面接官に言って、結果、不合格でした。
別の会社で会社説明会に行ったのですが、技術職はいつもの作業着、営業職はピカピカのスーツを着ていました。正直スーツが眩しかったですね。
そんなこともあり、技術職ではなく営業職に憧れを持ち始めました。大変申し訳無いのですが、財閥系子会社の技術職を断り、大学の就職課でメッチャ怒られました。
内定を一つ残して二つ断り、学校から推薦状をもらって受けたのがYKKでした。SPIが偶然にも以前受けた会社と同じということもあり、試験は相当高い点数だと思います。
そして、推薦状の金看板をもって内定を頂きました。
想定外は東京で働くことでした。でも、東京で営業をスタートするのは、ある意味かっこいいな、と思ってました。
若くて淡い頃の思い出です。今はマーケティングをやっているなんて、当時は考えもしなかったです。マーケティングという言葉すら知らなかったかもですね。懐かしいです^_^