tigerdriver-91’s blog

東京に来た大阪人がつれづれなるままに書いたブログ

告白 平成のプロレス10大事件 最後の真実

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長州力が新日本を飛び出しジャパンプロレスを立ち上げたのも、 猪木のアントンハイセルなどへの私的(資金)流用であり、 客様が入るのに給料が上がらないことに嫌気を指したからだ。

長州力は「レスラーの給与に査定を入れてください」 と会社にお願いするも断られました。その後、 ジャパンプロレスとして全日本のリングにあがる。 新日本の人気は低下する。 全日本プロレスの王道と交え人気を博す。しかし、 ジャパンプロレスと全日本の関係は長く続かず、 長州力は出戻りとなった。


長州力が戻る際の条件として「査定を入れること」 この条件がのまれててプロレスラーは会社の査定のもと給与が決ま るようになった。


査定の基準の作るのは、社長に就任した坂口征二長州力で、 試合のマッチメイクは長州力が考えるようになった。


三銃士でも1番地味な蝶野正洋をG1で二連覇させて「夏男」 にしたり、二回目のスーパージュニアでライガーに勝って優勝した 保永昇男などは長州力のシナリオ。


練習から真面目に取り組んでいる選手を優勝させたかったから。 とのこと。当時のファンは予想外のことが起こると盛り上がる、 と長州力は考えていました。いやはや、 僕らもそれにのせられていたかもしれないですね。


猪木はアリと試合をするとか、北朝鮮で試合をするとか、 兎に角いろいろなことをやった。そして赤字を増やしまくった。 その後、 政治家となり新日本プロレスは坂口社長と長州力で三銃士と共に1 0億円の借金を返済した。 UWFインターとの交流戦長州力が見事に仕掛けて成功しました ね。


UWFも、 もともとはユニバーサルの崩壊で前田日明たちが新日に戻る。 長州力の顔面襲撃に関し、長州力は「わざとだな」というと、 前田日明は「肩に手を当てて蹴りますよ」といった。 前田日明は新日に戻った時に対等な権利を得るために、 とんがったことばかりしていた。前座に戻るのはさけたかった。 この事件もその一連だと。長州力前田日明のことは「 ビジネスだから」と認めている。


前田日明はユニバーサルの選手として新日で戦う。 新日は自分の選手にしようと契約を迫る。 前田日明はユニバーサルが無くなると、新弟子の中野・安生・ 宮戸が守れなくなるから必死で交渉をして時間を稼ぐ。 でも結局新日からの契約で揉めて、新日と仲違いになる。 そして新生UWFが誕生する。 格闘技色を出したプロレスは新たなファンを獲得する。 バンザイ後の前田日明の家で、宮戸は「信用できない」発言をし、 安生も同調した。 前田日明は1人でもnoを言う奴がいれば新生UWFは解散と告げ た。


その日、 安生の家に宮戸や船木や鈴木が集まり新団体を作ろうとなる。 藤原に挨拶に行った船木と鈴木は、 藤原にメガネスーパーというスポンサーがいることを知り、 結局藤原組にいく。 wowowをスポンサーとした前田日明のリングス。 何もなかった宮戸と安生は高田を説得してUWFインターを設立。 英語が達者な安生は海外選手を引っ張り、 宮戸がブレーンとして1億円トーナメントやヒクソンとの対戦。 結局、 安生が同情破りのようなカタチになりUWFインターはガタガタに なる。


新日もnWoを長野に任せて絶好調だったが。 猪木が戻ってきてからは、小川直也を連れてきたり、 格闘技に参加したりと、新日のプロレスが大きく様変わりする。 プロレスは回復の早い筋肉を攻撃することで、 年間何試合もすることができる。 格闘技は筋肉のない顔面を狙うので怪我が長期化する。 小川が橋本に馬乗りになって顔面を殴った行為。「 新日本プロレスのファンの皆さん。目を覚ましてください」発言。 両軍入り乱れての乱闘。長州力が,最後に出てきて「 それがお前のやり方なのか」と詰め寄った。


猪木は新日本プロレスをお金儲けに使うようになる。 引退興行で七万人を導入したみたいで、消防法違反と指摘された。 合わなくなった長州力新日本プロレスを去ることになる。 そして、新日本プロレスは暗黒の時代に突入する。


少し前に全日本プロレス三沢光晴がノアを立ち上げ、 全日本プロレス川田利明渕正信の2人となり、 新日本との交流戦を開始。 単身渕正信新日本プロレスのリングに上がり、 現場監督の長州力と握手。 挑発してきた蝶野正洋は帽子を投げつけたが、渕正信は「蝶野、 忘れ物だ」と帽子を投げ返し「新日本プロレスのファンの皆さん、 お騒がせしました」とリングを去る。 この堂々とした渕正信の態度は新日本プロレスのファンから大歓声 を上げた。渕正信蝶野正洋は一騎打ちをして蝶野正洋が勝利。 そして興行は成功した。その後、 全日本プロレスの社長に武藤敬司が就任した。


などなど、平成と言いながらも、 昭和の流れから来るプロレスの歴史が書かれた本です。 古い話も今だから言える内容が分断に散りばめられています。 全日本の四天王に関しては割愛しました。私が知っていた話( もしくは割愛したい話)なので、筆が走らなかったです。 ご了承下さい。


因みに橋本真也は脳幹出血で亡くなる前日に食べていたのは、 カツカレー二杯、ソーセージにコカコーラだったようです。


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