tigerdriver-91’s blog

東京に来た大阪人がつれづれなるままに書いたブログ

連携の取れていない買収は往々にしてある実体験 その2

昨日に続き、今日は総合広告代理店にいた時の買収の話をします。僕は総合広告代理店のデジタル部門にいました。デジタル部門の買収は、総合広告代理店の中では話題になりにくいもので、営業やストプラ、クリエイティブの方々にはあまり馴染みがないかもですが、デジタル部門の人には熱いテーマでしたので、ここに残したいと思います。

 

前段で興味喚起しない書き方をしましたが、少しだけ切り込もうと思うので、前段で脱落するような書き方をしました。最初の3行くらいみて脱落するような書き方です。ページビューは気にせず、ありのままを残そうと思ってそうしました。

 

僕が入社した2010年時、ADK博報堂のデジタル部門と組んでいました。2社が主要株主となりDACというメディアレップを作ったので、関係は良好なはずです、実は違ったのですが。

もともとメディアレップは、電通が先にcciというメディアレップを作っていたので、旭通信社(1999年に第一企画と合併してADKとなる)もそれに合わせて作ろうとしたのですが、旭通信社内の立案者が社内での出資額が足りなかった。

なので、その方は博報堂を声をかけて出資額を募りました。結果、読売広告社デジタルガレージなどの出資も募り1996年にDACが設立されます。

 

1996年だと、インターネットは黎明期、旭通信社にいたその方は、インターネットの将来にかけていました。でも、複数出資となったこともあり、なかなかご苦労をされたようです。その方は当時37歳。すごいですよね。

それからその方はADKを辞めて、DACに参画します。それからインターネットが成長したのはご存知の通り。ADKの経営者は何を思ったでしょうか。1999年に第一企画との合併もあり、色々とカオスな状況でしたので、色んな判断を下すのが難しい時期だったんでしょうね。ADKとなると業界三位となる、そう言った準備と苦労もした会社でもありました。

因みに僕が入社した2010年の時、旭通信社派と第一企画派はありました。実際、売上に勝る旭通信社から社長は誕生するも、第一企画出身の社長は出ませんでした。今のADKホールディングスも社長は旭通信社。部門を三つに分け、そこで初めて第一企画出身の社長も誕生したので、昔のようなことはもう無くなったかもですね。知らんけど。

話を戻します。そして、その方はDAC拡大に大きく貢献、ADKの経営層もデジタルに取り組まなきゃと思ったんでしょうね。月日は流れに流れて、漸く2008年のADKインタラクティブ設立。デジタルに力を入れることを新会社設立で表明したんでしょうね。その方もADKインタラクティブに参画。デジタル業界はざわつきましたね。

僕もそんな裏側は知らず、ADKがデジタルに本気出した、行ってみたいと思い入社しました。でも、2011年にADKインタラクティブは崩壊します。

長くなったので、その詳細は明日。