tigerdriver-91’s blog

東京に来た大阪人がつれづれなるままに書いたブログ

異業種転職 その3

なかなか転職活動に入らないのは、僕がなかなか気ままでブログを更新しないからですかね。さて今回は、就職活動について纏めたいと思います。

 

まず、転職活動を始めたのは大学三年生の冬休み。僕の兄が就職活動で凄く苦労している姿を見せつけられていたので、僕は早く初めて苦労したくないと思っていたからだ。

 

というのも、僕の兄は現役で同志社大学に入ったので、就職活動も苦労しないと思っていたが、内定1つ決まらない。テレビ局を目指していたということもあるが、キー局は全滅、地方の放送局もダメで、びわ湖放送も落ちた、と聞いた時は、本気でヤバイと思ってた。大手新聞社も全滅で、唯一金融系の新聞社で内定もらって、ホッと一安心。兄は本当はアナウンサーになりたかったのですが、地方局ですらその夢は叶わず、表現の場所を新聞社に求め(方針転換して)やっともらえた内定だった。やりたいことを諦めた就職活動が痛々しく、僕はそうなりたくないな、と思ってました。(とはいえ、大学は遊んでばかりで、やりたいことを見つけることは出来なかったですが。)

 

因みに、兄がアナウンサーになれなかった理由として、ビジュアルに問題があった事も要因としてはあります。本人は必死だったので、兄弟としてはそれ以上何もいえなかったです。本人の為に言った方が良かったかなと反省。という自分自身も自慢ができるルックスではありませんが。。

 

少し脱線しましたが、そんな兄をみていたので、就職活動は事前に対策しようと考えてました。なので冬休みに入る前に、大学の就職課に通い、年明けから直ぐに面接できる会社を聞き回った。

 

というのも、兄からいわれていたのは、面接はやればやるほど自分の言葉で話せるようになる、とのことなので、どんな会社でも良いので、面接を受けてみようと思いました。

 

年明けから早速自己PR作り。面接の達人という本を買って読んでみるのだが、周りで就職活動をしている人がいない為実感がわかない。兄も就職して東京なので、タイムリーに相談できない。というか、兄は就職活動先が全く違うこと、学歴も負けていること、失敗し続けていたことから頼らなかった。当時は僕は技術職でしたので、メーカーの技術職中心で 参考に出来ないと思っていたからだ。まぁ、兄は失敗したけど、僕は簡単に成功して見返してやろうとは思ってましたが(^-^) 今となれば若い考え方ですね。それが良かったのかもしれませんが。

 

あと、周りはライバルと思っていたので、周りの友人にもそんなに相談しなかった。周りも『まだ、早いよね、遊ぼうぜ』という環境だったから仕方ないかも。そんな、誰も相談できない環境だったこともあり、一人で静かに就職活動を開始していました。

 

履歴書と自己PRの作成方法や学生がどのように面接をすれば良いか、ということは別の本にお任せするのですが、ひとつ、偏差値が高くない人でも使えるテクニックとして、色んな企業から内定をもらうこと。就職課から進められた会社の中でも比較的受かりやすい企業をピックアップし内定をもらう。内定をもらいすぎたら、就職課は『もう、就職を決めてくれ』 と言って推薦状を出してくれます。その時、自分の行きたい会社の推薦状をもらえれば、ほぼ手中に収めたもんです。役員面接を何度もこなし、筆記試験も数をこなせば慣れてきます。就職活動は早く動くこと、就職課を上手く活用すること。これに限ります。オワハラ、という言葉が出来て、今はこの方法を上手く活用出来るのではないでしょうか。ただし、内定を何個も保留にするのはマナー違反。自分が大切に持っている内定は1つだけにしましょう。それがマナーです。