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異業種転職 その2

こういう機会がないとなかなか自分の過去に振り返らないので、まずは僕の簡単な生い立ちから。生まれは大阪、父親はシャープの販売代理店勤務の所謂普通のサラリーマン。母親はパートとメリヤスの内職をして生計を立てていた。兄と妹の三人兄弟。トラブルメーカーのおばあちゃんと犬二匹の家族構成。そうです、至って普通の家庭です。周りはお金持ちも貧乏もいないし、飛び抜けた人もいない、有名人もいない、非常に穏やかで平和な少年時代を過ごしました。

 

兄は小学校の頃から勉強は出来ましたが、僕は至って普通。スポーツも普通。中学まで5段階で言えば3ばかりの生徒。強いて言えば、理科と数学が得意くらい。苦手教科は国語。兄が私立高校に行ったので、弟は公立高校に行きなさいと言われたので、地元の詰め込み式勉強塾に通い、大阪府市岡高校に入学。ただし、定員割れだったので実力かどうかは不明。併願校は大阪工業大学附属高校(現在の常翔学園)で合格はしてました。

 

当時、大阪の公立高校は学区制で、全部で9学区あり、その学区内の公立高校を受験できるルール。僕がいた第3学区は大手前や市岡、旭、東、大阪市立など。当時、大手前の次が市岡だったので、勉強について行くのがやっとこさ。成績も悪く、何とか赤点にならぬようギリギリの成績を取ってました。ただし、数学と理科だけは得意だったなー。

 

部活はテニス部。今の時代では考えられないと思いますが、正月と法事以外は全て練習。一年生は練習中は水を一滴もなんではいけなかったため、学校の外を走ってこい!と言われたら、ポケットに300円いれて、ガンガンジュースを飲んでたっけ。ジュースを飲んでる現場は見つからなかったけど、サボっている姿を見て、ずっと走らされた。ずっと学校の周りを走っているので人工衛星と言われたもんだ。人工衛星も伝統だったので恐ろしいもんだ。よく走ったお陰で、高校2年と3年はクラスで長距離走が一番早く、地味に踏み台昇降運動は学年トップだった。大学でタバコを吸ったので、その努力は無駄になりましたが(^-^)

 

勉強が得意でないのに、部活が忙しいので、結果浪人。浪人中は部活の反動で何もしなかったから志望校にいけず大阪工業大学しか受からなかった。しかも数学と理科だけでの二科目受験だったので、ほんと、好きなこと以外は何もしなかった。かつ、附属高校を併願で通っていたので、何となく一年を無駄にした感じ。因みに浪人をした人しかわからないかもですが、浪人中にカラオケや飲みに行っても、心から楽しめないあの感じは何なんでしょうね。因みに一番地獄は夏。女性の服装が薄くなる時期、18歳の青春は受験戦争というレースをサーキットしながら、色々な乗り物と一緒に無駄に発車してたなぁ。

 

決して偏差値の高くない大阪工業大学に入学し、就職活動にむかうのである。今日はここまで、次は就職活動を書きたいと思います!

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